やらない善よりやる偽善

で、こんな言葉が言われたりする。
今回のタイガーマスク騒動(とかwikiタイガーマスク項目に書かれていて早いと驚いた)に対してシニカルな意見が出たときに、この言葉が返信として書かれているのを見かける。
ただ、この言葉自体、一見分かりやすそうに見えて、実は全然分からない。
なぜかと言うと、「善」と「偽善」の基準がないからだ。それらは主観要素があまりに強く、客観的に判断できる概念ではない。
さらに「やらない善」というのが輪をかけて意味不明。言わんとしていることは分かるが。
たぶん、そこで想定されている「善」とは、虚栄心などとは無縁の純粋な「他人を救いたい」という願いから行動することを指すと思う。しかし、「善」がそのように定義された時点で「やらない」「善」はありえなくなる。なぜなら、「善」に行動を取ることそのものが含まれているから「やらない」はありえないわけだ。「やらない」で傍観しているだけなら「善」とは言えないだろうし。
じゃあ「やる」「善」と「やらない」「偽善」を比べたらどうか。どちらがより高尚かとなると、そうやって比べる行為そのものが下種というか、器が小さいというか。
あー、話が拡散だけして全然まとまらない。
何が言いたいかというと、「あんなのただの偽善じゃん、虫唾が走る」とか斜に構えたこと言ってるのはみっともないし、ひょっとして毎日がつらい? とか思ってしまう。「イイハナシダナー」と何も考えずに受け取れば、心があたたかくなるしお得だなあと。