ソードアート・オンラインII 24話(最終話)

感動できるとは思うし、実際それなりにいいと思ったわけだけど、それ以上に「大事な人の死、主人公(この場合はアスナ)に友人が託すもの、葬儀場におけるその友人を中心にできた人間関係の当事者たちとの会話、その友人が死して残したもの、これらの感動要素テンプレートを詰め込んだ数え役満だな」と醒めた目で見ている自分に気づいて嫌になる。やっぱ人の死を扱って感動を取る作品は嫌いだ。
もちろん、本来のラノベの対象者である中高生にはいい作品だと思う。でも、このテの作品は映画やドラマとかで嫌ってほど見てきたから、さっきみたいに、それらの作品の感動要素の何を取り入れているのかな、という視点で見てしまうんだよなあ。
そういう自分に対する愚痴は置いておいて、SAOという作品はVRMMOというジャンルを作り上げた大作なわけだけど、その本質はゲームではなくて、仮想現実へのフルダイブという技術が人間社会にどういう影響を与えていくかが本流にある作品なんだよね。GGO編はフルダイブを悪用した犯罪の話で、マザーズ・ロザリオ編はフルダイブがゲームだけではなく社会に貢献するものになっていく過程の一つとして医療技術を取り上げている。さらに言えば、フルダイブによる授業、アスナたちがやっていたみたいな皆で宿題、といったものへの利用も描かれる。で、次のアリシゼーション編でさらなる段階へ進むけど、長いからアニメ化は無理だろうなあ。