忘却の旋律・最終回

正直色々な伏線を全て投げて、俺達の戦いは終わらない! EDだったんだけど、爆裂のインパクトがあまりに凄すぎて、そんなに悪くないんじゃないか? と思えた。なんか間違ってるよ。
結局、忘却の旋律はソロの理想の行動を取るから、メロスの戦士を戦いへと導いて、ソロの域にまで到達してソロの孤独を癒す存在を作る手助けをしたということだろうか。最後の矢の撃ち合いで、ソロをかばったけれども実体がないから矢が突き抜けてソロに刺さるってシーンが切なくてかなりよかった。
永遠に若さをたもち自分の理想の行動をとる幻=2次元に萌えるモンスターキングと、3次元の女(引いては世の中の現実)と向き合うボッカの戦いってことなのかね。最後の忘却の旋律のモノローグも、苦しいこと、つらいことがある現実を見て精一杯生き抜けって言いたいんだろうし。早い話「アニヲタの諸君、アニメなんて見てねーで真面目に生きな」ってことか。前にも書いたけど、アニメでそういう教唆をしてもなー。
最後に小夜子生きてたけど、モンスターキングの矢をくらって無事ってのもなー。バイオコンツェルトしてる(いつあのクリーム塗ったんだって疑問はあるけど)とはいえ、胸がでかいとはいえ。そしてソロはどうなったか。当たり所は肩とはいえ、大きなロボすら破壊する一撃だもんなー。ボッカがやや成長しているのに小夜子の外見が変わらないから、あのまま助からずに死んで新たな忘却の旋律になったという可能性もある。ボッカに文句言っているのも、そういう小夜子を理想としているから、とか。そうそう、ここ数話で小夜子の幻が何度か出たのは、単なる演出ではなく、ボッカがモンスターキングに近づいている(忘却の旋律を生み出せる)ということの伏線なのかもね。
とはいえ、どうとでも取れるんだよね。ソロが死んだか生きてるか、ボッカはモンスターキングになったのかそのままなのか、小夜子は生きてるのか幻になったのか。つーかさ、そういう曖昧なところやこれまでの超演出、何も考えていない可能性も大きいんだよね。だってさ、その昔庵野監督は「適当に演出してれば、アニオタは勝手に脳内保管するから楽」って言ってるからねー。これはこういう隠喩だ、こういう深い意味があるに違いないとかやってるもんね、確かに。だから、それっぽい演出を適当にすれば、勝手に深く解釈してくれると思って適当にやる製作者がいてもおかしくない。
今回は、この美少女牧場(本当にこういう名称)が一番凄かった。「モーモー」言ってるだけじゃなくてきちんと話すことできるのね。だったら、まずます前回の搾乳シーンが謎だ。