席を譲らなかった若者

http://rakudaj.seesaa.net/article/3130212.html
今、めちゃくちゃ熱い議論がかわされているブログ。詳細は読んでみてちょ。コメント欄がすっごく長くて読むの大変だけど。色々と考えさせられる。
コメント欄にある「こんな体験をした」という体験や、そもそも発端となったブログの話が全て事実に基づくという大前提でこれからの話を進める。
この老人も若者もどっちもどっちってのが基本的な僕の意見。わざわざ嫌味を言う老人は大人げないし、若者は若者で反論がかなり的外れ(咄嗟にこれだけのことを言えるのは大したものだと思う。内容の是非は別として)なのが致命的。嫌味に嫌味で返しちゃ同レベルになるわけで。嫌味を言わずに、軽く注意を喚起するようなことを織り交ぜつつ席を譲るのが大人の態度……って無理だけどね! 少なくとも、僕はそんなできた大人じゃない。
とりあえずだ。よく老人や困っている人に席を譲るべきとあるし、それは間違っていないと思う。ただ、あくまで「べき」であって個人個人の良心の問題なんだよね。強制じゃない。若者などが老人に席を譲る義務はまったくない。道徳的にどうのは別として。そこを勘違いして、若者は席を譲って当然、場合によっては強制にどかしてもいい(コメント欄の体験談とか見ていると、若者に暴力やそれに類する行為を行って無理やり席を譲らせる老人がいる。新聞の投書でもそういうのを読んだことあるな、そういや)という過剰な権利意識を持つのは明らかな間違い。
それとねー、個人的な意見としては席を譲るって行為は非常に勇気がいるのよ。だって目立つじゃん。そういうの嫌なの。前に席を譲ったとき過剰にお礼を言われてさ、かえっていたたまれくなった思い出。ほかに、拒否されることもあるみたいだし、そうなるとかっこ悪いというか非常に居心地悪くなるじゃん。親切心(いや、そんな大層なものじゃないな。困っている人がいたら助けるというのは、ある意味でとても自然な行為だろうし)が仇になったみたいな。こう思って席を譲ることができないでいる人は多いと思う。老人はデリケートだから。松葉杖をしている人が電車内ですぐに席を譲られることが多いのは、明らかに困っていて席を譲ったら断ることはないってのが確信できるからだと思う。日本人は、もし自分の行為がマイナスになったら、って先読みで何もできなくなるパターンが多いと思う。
あと、このテの話題で複雑なのが内部障害を持つ人や、気分が悪くなっている人。この人たちは傍から見たら普通の人だから、たとえば優先席に座っているときにうろんな目で見られがち。座る必要性がある人たちなのに。こういう人たちが老人に文句を言われて席を立たざるをえなくなったって話はよく聞く。僕の知り合いでもいた。僕自身、帰宅途中で一瞬視界がブラックアウトするぐらいやばい状態になったときあったし。そのときは、結局タクシーで帰ったけどね。
最近は席譲るってことしてないけどね'`,、('∀`) '`,、 いや、基本的に電車内にいる時間が長いので眠っちゃうのよ。その30分ぐらいの仮眠が重要なわけで。周囲をじろじろ見るのは失礼な気がして、周りにどんな世代の人がいるかさっぱり把握してないし。短い距離しか乗らないときは、よほど疲れているときや席ががら空きのとき以外は席が空いていても基本的に立つ。と言い訳。偉そうな議論をする資格なしですな。
最後に一言。めちゃ混みの通勤時間帯の急行に乗り込む老人や子供連れのお母さんは、正直常識を疑う。普通電車だったら座れないけど車内に余裕はある。もしくはタクシーを使って下さい。
ああ、それと年金にかんする世代間闘争は、年金の趣旨を取り違えて批判している人が多い気がする。普通の保険みたいに、毎月掛け金を出して貯蓄していって将来そこから給付を得るってスタイルじゃないのよ。もしそうだとしたら、老人が自分たちが将来受け取るはずの年金を食い荒らしているように誤解してしまう。年金はあくまで世代間扶養であって、今の働く世代が働けなくなった世代を扶養するってスタイル。我々が払っている掛け金は、将来の自分たちのために払っているのではなくて、今の老人たちのために払っているわけ。微妙に違うでしょ? それがよくないって議論はあるだろうし、それは凄い理解できるけど、老人が自分たちの年金を食いつぶしているという批判は的外れ。
しかし、世代間の争いが表面化しつつある気がする。このことにかんしては、今度の機会に書いてみたいと思う。