上が落ちることを望む人たち

で、だ。上の本で僕が一番印象に残ったのは、10人のインタビューのうちの1人。32歳のフリーターの「格差社会がもっと広がって欲しいと思ってますね。自分はこれ以上、上にあがることができないから。自分と同じ位置に大勢の人が落ちてくればいいな、と」。この発言は無視できないものがあると思う。
論座1月号で「現代の貧困」をテーマにしていて、その中で31歳フリーターが記事を書いているんだけど、そこで「国民全員が苦しむ平等を」と言っている。社会から虐げられている若者が、なぜ右傾化をし、自分たちを苦しめる元凶である自民党を支持しているのかという答えとして、自分たちが低賃金労働者として社会に放り出されて10年以上経ったが、社会は何もしてくれなかった。それどころか入口が狭くてどうしようもなくて非正規雇用という不安定な立場にいる自分たちを罵倒し続ける。どうせ自分たちが救われることは皆無ということを強く述べている。

戦争は悲惨だ。
しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない

これは非常に考えさせられる。もちろん、変な劣等感で世を乱すな、俺たちを巻き込むな、という意見はあると思う。でも、社会的に弱い立場が集まる場所では、関東大震災を望んだり、北朝鮮が核ミサイルを撃つことを望んでいる人が少なからずいる。これも、自分たちはもう這い上がれないから、せめて他の人も同じゼロの状態になってほしい。リセットしてほしい。そういった歪んではいるが切実な願望だ。共通点としては、未来に希望をまったく抱いていないこと。いくつかの書でも述べられているが、結局未来に希望を見出せないことが今の日本の最大の問題点だと思う。希望がなければ、そりゃ自暴自棄になる人も多いよ。
こういう考えを選挙活動にまで反映させる層がどれだけいるか分からないけれども、自民党の躍進の裏にはこうした非常に歪んだ想いが渦巻いていることは確かだ。