不安定生活限界だ フリーターら「生存メーデー」叫ぶ

http://www.asahi.com/life/update/0501/TKY200705010001.html
ここ最近、こうした流れが活発化してきた。あまりに遅きに失した感があるが、大人しい日本人ですら、もう耐え切れないと声を上げ始めたとも言える。てか、こんな企画があったなんて知らなかったよ。もっとこういう運動は広げていかないと。東京で予想を上回る400人ちょいの参加らしいけど、その数十倍は集めないとインパクトがない。金持ちは横の連帯は強い。いざってときにがっちり連帯して自分たちを守る。個々人があまりに弱い層こそ連帯して声を大きくしなければならないのに、完全に分断されているのが最大の問題。

生きさせろ! 難民化する若者たち

生きさせろ! 難民化する若者たち

以前ここでも感想を書いたこの作品の作者である雨宮処凛も参加している。この本は絶対に読むべき。学者ではないので、こうした問題についての学術的な分析はほぼないが、当事者たちのインタビューが多くあり、それが非常にリアルなものとなっている。著者がかつては右翼団体にいたというのも興味深い。僕も学生時代は、右翼とは言わないが、自民党第一で野党のほとんどは売国党だと思っていた。まあ、日本に真の意味で右翼や左翼にあたる人がどのぐらいいるかというと疑問なわけで軽々しく右翼左翼という言葉を使いたくないんだけど。話が逸れた。でも、社会に出て価値観が変わった。周囲を見渡すと、あまりに困難な生き方を強いられている人間が多いことに否が応でも気づかされた。職業柄結構な金持ちとも話す機会があるけど、生まれながらの環境のあまりの違いに驚愕した。今、右から左への動きが出ていると思う。いや、右とか左とかの言い方は嫌いなんだけどね、僕は。というかね、全てが右だったり左だったりではなく、外交や国防面では右、でも経済や福祉面では左。こういう人は多いと思う。経済左派ってやつか。今の金の分配の一方的な偏りは絶対に是正されなければならない。
強く主張したいのは、格差否定論者は「格差はあって当然。格差がない社会はおかしい。この共産主義者め」というのは問題のすり替えにすぎないということ。格差はあって当然。これは当たり前のこと。さらに言うと、格差の拡大も今のグローバル経済の下では仕方がないとも思う。しかし、貧困が広がるのは絶対に防がなければならない。普通に生きることが認められる社会でなければならない。過労死するほど働いて生きていくのがやっとという状況は絶対におかしい。法律に定められている時間の労働だけでは食っていけないというのもおかしい。普通の仕事が安定して供給されなければならない。今、何の格差が問題か。僕は「労働条件による給料の格差」が最大の問題だと思う。単純に時給換算とかではない。給料に限らず、労働の内容、労働密度、労働時間、社会保険やボーナス・各種手当て等全てをひっくるめた上での格差は時給なんかよりもはるかに大きいと確信している。
http://d.hatena.ne.jp/byakumu/20050430#p7
上のは、2年前に書いた記事。状況はますます悪化している。財界の動きがますます露骨になっていることが大きい。たとえば、欧米でも最近過重労働の流れが激しくなっている。
本日より「時間外・退職金」なし (光文社ペーパーバックス)

本日より「時間外・退職金」なし (光文社ペーパーバックス)

これでは日本マクドナルド社を扱いつつ、ホワイトカラー・エグゼンプションについて取り上げている。この本は一読するべき。この中でアメリカのホワイトカラー・エグゼンプションのことが書かれていて、ロビイストの暗躍で多額の政治献金が動き、業界の声が簡単に政治に反映されてしまうという。日本のホワイトカラー・エグゼンプションの動きもそうで、10年前からの財界の悲願という。とにかく、この本を読むといかに企業が労働者を人間として見ていないかがわかる。資本主義の初期を見ているようだ。イギリスでの工場法ができる以前の状態になりつつあるというか。
とにかく個々人ができることをしなければならない。僕の場合は、ここでこういう話題を取り上げることで一人でも多くの人に現状を知ってもらおうとしている。自費出版でもいいから、こういったたぐいの本を一冊は書きたい。仕事での共著は全然関係ない分野だしなー。あ、そっちの締切を考えると胃が痛い……。
最後に一言。自分が普通に暮らせているから関係ないという話ではない。生きづらくなっている人が多くなっているということは、社会全体が不安定になっているということ。しかも、自分の暮らしが今のまま続くという保証はどこにもない。何らかのトラブルが起こったとき、今の日本で再び歩き出すことは非常に困難なのが現実。一度の失敗が致命的なものになる。それほど、社会による支えが急速に失われている。他人が生きづらいということは、自分が生きづらくなることと紙一重である。ここで何とかしないと、本当に取り返しのつかない事態になる。