秋葉原事件 週刊朝日の特集を読んで

一番トップの記事は、一部恣意的な表現があっていやらしいが、それ以外の記事はなかなか考えさせられるものがあるというか、僕が考えているのと結構似ている。とりあえず、恣意的な表現についてちょっと触れてみる。まあすでにこの記事ではない別のところですでに話題になっているが。ガンスリンガーガールについて「特殊な身体能力のある体に改造されたロリ顔の少女たちがマシンガンなどを抱え、テロリストと戦う物語だ」、東方シリーズについて「作品ごとに設定は違うが、中心的なキャラは空を飛ぶロリ顔の巫女。親友にプレゼントしたDVDの中には、投げナイフを持つキャラも登場している」。どうやらロリ顔という表現が好きらしい。記事作者の意図が透けて見える。投げナイフも、どう考えてもこじつけだよなー。投げナイフなんて、それこそ色々なものに出てくるから。当然、ドラマや映画でも。そっちの方はなぜか批判されないが。まあ、映画やドラマは漫画・アニメよりも高尚な「一般大衆」の娯楽であり、漫画・アニメを見る層はそういうのを見ないで引きこもっている、だから漫画・アニメだけが悪い、という前提があるのだろうけど。
まあ、この最初の記事は読む価値がないからどうでもいい。で、2番目の記事が9人の識者とやらが分析した文をのせている『「若者」に気をつけろ!』という記事。正直、記事のタイトルを見たときは、若者にレッテルをはりつけたどうしようもないコメントばかりあるんだろうなあとうんざりしていたら、中身は全然違った。これ、タイトルがよくない。てか、タイトルをつけた奴出てこいといった感じだ。タイトルをつけた記者は、中吊り広告しか見ない層に対して偏見を植え付けたいんだろうな、と思った。
コメントを寄せた半分ちょっとの識者は、派遣労働や新自由主義格差社会などについて触れている。つまり、加藤容疑者のパーソナリティーだけの問題ではなく、背景に今の社会そのものの生きづらさがあるということ。正直ね、この事件は宅間守の池田小事件と背景が同じなんだよね。宅間のときもそうだったけど、犯人に対して一定の共感を覚える層は想像以上に多いはず。もし被害者が無力な小学生や罪のない一般人ではなく、こうした社会を生み出した原因と目される人々に向けられたら、もっと露骨に二人をヒーローと称える人たちが出ているはず。だって、あんな無差別事件を起こしてさえ、宅間を神とする層(からかいなどではなく、真面目にそう考えている可能性が高い)がいるし、まだ読んでいないけど今日の新聞に出ていた週刊新潮の中吊り広告を見ると加藤容疑者を神としている人たちもいるとか。
9人の1人である作家の吉田司が「さすがに政権の側からも、派遣労働制度を見直すべきだとの声が出始めている。驚くほどすばやい反応だ。それは、これまで漠とした不安をどこにぶつけていいのかわからず、「誰でもよかった」若者たちの矛先が、いずれ新自由主義を推し進めてきた自分たちに向かうかもしれない、と感じているからだと思う。今回の事件を通じて、搾取される側に本当の敵の存在を知らしめたかもしれないという意味で、彼がある種のアンチヒーローになってしまうんじゃないかと懸念しています」と書いてあるが、これは本当にその通りだと思う。いや、本当に労働政策についての見直しがこうも早く出るとは思ってもいなかった。てかね、薄々気づいていたというか、自分たちがやっていることが労働者をどんな目に合わせているかということを自覚しながら政策を推し進めていた証左だとすら思う。「さすがにやりすぎたか」と思っているのではないだろうか。結局、何か大きな事件が起きるまで変わらないわけだ。3つ目の記事が、湯浅誠が司会をつとめる「フリーター」「派遣社員」の緊急座談会というのも、こういう座談会を企画する時点で、マスコミもこうした要因があることを分かっているってことだよね。