けいおん!

今日の朝日新聞の夕刊、毎週漫画の書評をしているコーナーで今回は『けいおん!』が取り上げられていた。その中に書かれていることにかなり共感を覚えたので、ほぼ全部抜粋。

 四コマの基本である起承転結や「オチ」は重視されていない。作品の魅力はかわいらしい「萌えキャラ」そのものだ。近年、萌えキャラマンガに親しむオタク文化が醸成したものに、自分なりの物語を想像する能力が挙げられる。そうした読者には、与えられるストーリーより、キャラの立ったエピソードの断片こそが重要なのだろう。

これには完全に同意。僕はストーリーをむしろ忌避してすらいる。決まったストーリーができると、それは公式として確立されたものになってしまうからということがある。つまり、自分にとって都合の悪いエピソード、嫌なエピソードを含有することになり、それがたまらなく嫌な我儘オピニオンなのだ。
極端な言い方をあえてすれば、クリエイターはただのキャラを生み出す道具であって、それをどう料理するかはさせないという「お前何様だよ、これだから読者様は」状態。こういう傾向は近年顕著だと思う。クリエイターが描きたかった描写が糾弾されることがよくあるわけで。極端な例が『かんなぎ』とかだろうか。あれは意図的に内容をすら歪められたからまた違うとも言えるが。

 ストーリーがないことは登場人物たちが成長しないことでもある。男性キャラは登場せず、恋愛のように変化を起こすイベントはほどんどない。演奏の上達どころか、唯が覚えたコードをすぐ忘れることがギャグになっている。先ごろ高校卒業という形で最終回を迎えたが、4人は同じ女子大への進学が決まっていて、ゆるゆるとした日常が続くことを予感させる。

ストーリーがない=登場人物たちが成長しない、というのは少々短絡的だと思うが、言わんとしていることはよく分かるし同意できる。もし『けいおん!』で、誰かに恋人ができたら阿鼻叫喚だっただろうし、4人の進路がバラバラでも色々言われただろうなあ。

 オチも成長もない日常をユートピア的に描いた本作は、ブログやツイッターといったメディアを介し、他人の何でもない日々とゆるやかにつながりたい、と願う現代人の志向にぴったりなのかもしれない。

そして、このオチである。「キリッが抜けてる」と言われそうだ。何で無理やり現代人とかそういう言葉を使うのだろうか。新聞のコラムだから仕方ないのかもしれないけど。むしろ、筆者が考えているリアルワールドでのつながりはごめんだ、って人が多いと思う。筆者はオタク同士のコミュニティとはきっと異なるものを考えているだろうから。