ハイスクール奇面組の最終回について


 最近「最終回がひどい漫画」みたいな話題があって、そこでハイスクール奇面組があげられていた。
 その話題になると必ずあげられるタイトルの一つなんだけど、そもそもそれは大きな間違いだったりする。


 ハイスクール奇面組は中学3年生時代を描いた3年奇面組と高校生活を描いたハイスクール奇面組というタイトルで1980~1987年に少年ジャンプで連載された人気ギャグ漫画。当時の子供たちが「変態」という言葉を覚えたのはこの漫画から。ただし今使われているような変態という意味ではなく、普通の人とは違う考え方を持つ人、違う行動をする人といった感じ。

 で、人気漫画だからこそ最終回が気になるわけだけど、その最終回の最後でヒロインの唯が中学生時代に戻って「今までのは全部私の空想だった……?」みたいなモノローグまであり夢落ちとはひどい!という抗議が多かった。人気漫画だったからこそ、この最終回に失望して苦い記憶として焼き付いた人も多いようだ。

 だがしかし!
 ここで夢落ちと判断すること自体が間違っている。
 人気漫画なため高校生活が3年過ぎてもまだ連載が続くということが何回かあって、その時どうしたかというと、作者が作中でタイムマシンに乗って(ギャグ漫画だから作者が作中に出ることが滅多にないとはいえあった)過去に戻るというもの。
 つまり、奇面組の世界があって作者はその奇面組の世界を覗いている・描写しているという体をとっていたわけ。それを前提に考えると夢落ち自体がありえなくなる。最終回でまた巻き戻していつでも続きを描けるようにしたのかなと思ってた。
 その場合タイムマシンで過去に戻っただけなら唯が高校生活までの記憶をぼんやりと持っていたのはおかしいってなるけど、超能力者もいる世界だしデジャブ的な何かで未来の断片をぼんやりと感じ取っていたのかもしれない。
 まあそんな深く考えずに単にループしただけということで、実際夢落ち説のほかにループ説というのが昔からあった。

 で、作者が後に語ったのは「夢落ちと受け取られるのは心外」ということ。一応どちらとも受け取られるようにしたとも言っているが。
 ただ夢落ち説をあまりにも多く言われたのがこたえたのか、愛蔵版の方では最後のコマに主人公である一堂零のシルエットが追加されて夢落ち説を否定する形になった。
 作者がそこまでするのは、たぶん表現の失敗みたいな感じで嫌だっただろうけど、個人的には夢落ちを公式で否定してくれたのはありがたかった。確信が持てるというのはやっぱり嬉しい。