男の娘

なんかもう、最近は多すぎると思うんだ。なぜここまで男の娘がもてはやされ始めたのか考えてみた。
wikiにもあるように、クローズアップされたのは2005年のエロゲー処女はお姉さまに恋してる』の主人公・宮小路瑞穂と『はぴねす!』に登場したサブキャラクター・渡良瀬準からだと思う。特に準の場合に「準にゃん」とまで呼ばれる人気ぶり。ついにはファンディスクで準シナリオまで作られたもんなあ。
ただ、女の子に見える男の子っていうのは昔からあるよね。少し前になると、やはり『ギルティギア』のブリジットが一線を画しているかな。まあ、二次活動の媒体が増えてどんどん活発になっていた時期と重なったというのが大きいと思うけど。
僕としては、やはり『ここはグリーン・ウッド』の如月瞬がそのテのキャラとして最初に見た存在かな。ニコニコ大百科では登録されていないのがちょっと不満。まあ、男らしい性格だし外れるのかな? そして、今から約30年前の『ストップ!! ひばりくん! 』の主人公、大空ひばりは時代の先を取りすぎていたんだな。まあ、ひばりの場合はラブコメに対するアンチとしてのギャグ漫画だったわけだけど。ひばりは面白かったのになあ。作者逃亡で打ち切りなのが残念すぎる。
で、クローズアップされたのがエロゲーというのが一つのキーワードかなと。どっかのCAGEみたいに、全ヒロイン男の娘という狂気の作品を出す所もあったり、どうにもエロと直結している面があるんだよね。男の娘って、ショタが女装して云々というのとはちょっと違う気がする。女装すれば女に見えるではなく、見た目はもう女の子、しかも可愛いというのがスタンダード。最初から女装していることが多いしね。ぶっちゃけ、ついているだけでほとんど女の子と変わらず、同性だけどエッチしてもいいな、むしろしたいと思わせる外見になっている。
エロゲーの場合はモロにエロありき、エロゲー以外でもそうした妄想を可能にさせる存在となっているんだよね。これってヤンデレのときも思ったけど、オタクの過剰なニーズの一つの結果だと思う。つまり、基本的に女は女。男からすると、完全には、もしくはまったく理解できない未知の存在。どれだけ二次元で男にとって都合のいい存在が作られても、理解することのできない女というくくりからは逃げられない。そこで、同じ男なら遠慮がなくていいし、男の感情の機微もよく分かっている。それでいて、そこらの女とは比べ物にならないぐらい外見が可愛い。そんな我儘を一手に引き受ける存在として、男の娘の需要が増しているのかなーと。ファンタジー世界だったら、自由に女体化できるようになるキャラとかいそう。
あと、これは勝手な考えなんだけど、女の場合は同性のかっこいい存在、たとえばスポーツで活躍する先輩への憧れってのが学生時代に体験できるじゃん。もちろん男の場合も、凄い先輩に対して「うわ、すげー」「かっこいいなあ」と思うことはあるけど、それはあくまで尊敬の念。女の場合は、その尊敬と恋愛感情の質がわりと似通っていると思うんだ。男の場合は、尊敬と恋愛感情はかなり違うじゃん。つまり、尊敬や友情と恋愛感情の微妙な境目で揺れるという体験が、男は女に比べて著しく少ないと思う。男の娘は、その未知の感覚の疑似体験ができるシチュエーションという意味合いもあるんじゃないかなーと思ったり。